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謎の鉄わらじ
                                   Photo by 東風



富士山御殿場口登り6合目の道標付近に、岩に刺さった鉄の錫杖と鉄わらじがあります
わらじ館ではこのわらじを保存、管理しようと考えてます!

鉄わらじの場所

場所は宝永山から続くプリンスルートと御殿場口登り6合目の合流付近で、旧六合目の山小屋(寳永館・廃業)跡地の上です
御殿場口6合目の道標付近から上を見ると、岩の上に立っている鉄の棒が見えます

鉄わらじの知名度は

富士登山者の中では、昔から有名な鉄わらじだったのでしょうか?

筆者はわらじ館HPに御殿場口登山道の登山ガイドを掲載しようと、写真撮影しているときに気が付きました(2012年9月撮影)
気になって少し調べてみたのですが、当時は鉄わらじに関する情報を見つける事はできませんでした

鉄わらじに刻まれた文字

冨士講関連の奉納品だと思われますが、鉄のわらじには以下の文字が刻まれていました

 奉 納
 横浜市野毛坂
 荒物商 齋藤 廣吉
 大正元年八月吉日

荒物商とは家庭用の雑貨類(ほうき、ざる、台所用品など)を扱うお店です

大正元年(1912年)ということは100年以上前からここに刺さってたのでしょう
錆びてボロボロになってもおかしくないのに、まだまだしっかりしています

当時は人気だった御殿場ルート

御殿場口登山道は明治16年(1883年)に開通した新しい登山道です
明治22年(1889年)東海道線が開通し御殿場駅が開業すると、駅からの登山者が増えて御殿場口も賑わうようになりました

明治27年(1894年)には、太郎坊から山頂まで12の岩室(山小屋)があり、鉄わらじが奉納された大正時代は、御殿場口登山道は人気の登山ルートでした

この場所から、今まで多くの登山者を見守っていた事でしょう

鉄わらじの謎

現在の野毛坂は神奈川県横浜市西区野毛町〜老松町にあり、最寄り駅は日ノ出町駅ですが、
このあたりは関東大震災(大正12年)でほぼ全てが倒壊・焼失し、復興のため区画整理されたそうです
また、昭和20年には空襲で焼け野原になりました

誰かこの鉄わらじを奉納した方や、手掛かりになるような情報をご存じないでしょうか?
わらじ館では、この鉄わらじのルーツを調べてみようと思います。。。

参考:野毛の街の歴史

鉄わらじ捜査結果(富士半蔵)追記

元警察官・富士半蔵が、横浜野毛坂へ鉄わらじの捜査に行ってきました!
大正元年の齋藤廣吉さん…!
昔の事ならお寺!と思い野毛山不動横浜成田山へ!
お寺の従業員のオヤジさんに駄目もとで聞き込んだところリーチ一発でした!
荒物商の齋藤さんは今は「ちぇるる野毛」と言う店舗、地区センター、マンションが入る大きなビルになってました!

雲を掴むような捜査だと思ってましたがあっさり判明して拍子抜け…
齋藤さん子孫の消息までは踏込みませんが、大正元年に野毛坂の荒物商が富士山に鉄のわらじを奉納した裏付けが少し取れた事に満足しました!

参考:ちぇるる野毛


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